日曜の昼下がり。
小鳥〈ことり〉がベランダで、歌を口ずさみながら洗濯物を干していた。いつも室内で干している悠人〈ゆうと〉にとって、ベランダが洗濯物でうまっていくのは新鮮な眺めだった。気持ちのいい風が入り込む中、悠人は煙草を吸いながら小鳥が干すのを眺めていた。
* * *「悠兄〈ゆうにい〉ちゃんって、いつも同じ服を着てるよね。どうして?」
昨日の夜、小鳥に聞かれたことを思い出す。
「ああこれな。俺は下着も服も靴も、同じものしか持ってないんだ」
「……どういうこと?」
「小百合〈さゆり〉から聞いてないのか? 色んな服があったら着る時に悩むだろ? そんなことで悩むのがバカらしいから、全部同じにしてるんだ。年に一回、下着も服もセットにしてまとめ買い。合理的だろ?」
「うーん、そんな人に会ったの初めてだから分からないけど……でもね、その日の気分で服を変えたりするのって楽しくない? 着る服で気分が変わることもあるし」
「よく言われるんだけどな。なんかそう言うのって苦手と言うか、興味ないんだよな」
「それに悠兄ちゃん、真っ黒だし」
「だな」
「ティーシャツも黒、ジーパンも黒、パンツも靴下もワイシャツも靴も、ジャンバーまで全部黒。どこかの危ない人みたい」
「落ち着くんだよな、黒って」
「じゃあ小鳥が今度、悠兄ちゃんに服をプレゼントしてあげるよ。小鳥が買ったら悠兄ちゃん、着てくれる?」
「うーん……会社の子にも同じこと言われたけど、その時も結局返事出来なかったんだよな。着るかどうかの自信がないから」
「じゃあ悠兄ちゃん、気に入らなければ着なくていいってことなら、買ってもいい?」
「いやまぁ……買ってくれるのは嬉しいけど、でも俺にプレゼントしても甲斐がないぞ。自分の服を買った方がいいと思うけど」
「大丈夫だよ。小鳥にはお母さんからもらったあらゆるデータがあるから。悠兄ちゃんが着たくなる服、探してきてあげる」
「……お前は一体、小百合から何を吹き込まれてるん
「なるほど……」 紅茶をひと口飲んだ弥生〈やよい〉が、大きくうなずいた。「悠人〈ゆうと〉さんの幼馴染の娘……えへっ、えへへへへっ」「……なんか知らんが、また変な妄想をしているようだな」「いえいえ悠人さん。私はただ、新しいヲタの属性が生まれた瞬間に立ち会えたと喜んでる次第でして。これまで幼馴染や妹、委員長や後輩萌えは多く語られてきましたが、なるほどなるほど……確かにヲタも30代40代が増えてきて、妄想にも限界が生じてきた昨今……その中での幼馴染の娘属性とはあまりにも必然でしかも斬新……」 目が爛々と輝いていく。「しかも幼馴染鉄板の体育会系ボディ! スレンダーかつ微乳、我々萌豚の妄想が具現化したようなキャラは正に至福! えへっ、えへへへへっ」 舐めまわすようなその視線に、小鳥〈ことり〉が思わず胸を隠した。「弥生ちゃん、おっさんの目になってるぞ」「ぐへへへへっ、お嬢ちゃん可愛いねぇ」「……悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、弥生さんって」「ああ、悪い人じゃない。いい人なんだ、いい人なんだけど……何と言うかその、確か変態淑女とか自分で言ってたな。人類は皆ヘンタイだから恥ずかしくない、とかなんとか……自分に正直であり続けたら、こうなってしまったらしい」「ひゃっ!」 小鳥が叫ぶ。いつの間にか弥生が近付き、太腿を撫でていた。「おおっ、この引き締まった太腿……この太腿は陸上部部長クラスとお見受けしました。触ってもいいですか小鳥さん。て、もう触ってますけど」「いい加減にしろ」 そう言って、悠人が再び弥生の額に人差し指を突きつけた。「びっくりした……でも弥生さん、当たってますよ。私中学の時、陸上部の部長でした」「種目は短距離」「そう、短距離でした」「やはり……どこまでも我々を裏切らないお方。舐めてもいいっすか」 ゴンッ! と弥生の頭に衝撃が走る。悠人のゲンコツだった。 小鳥は赤面しながら笑った。「悠兄ちゃ
翌朝。 悠人〈ゆうと〉が布団をたたんでいると、小鳥〈ことり〉が部屋に勢いよく入ってきた。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、なんで普通に起きてるのよ!」「なんだなんだ、朝っぱらから」「今日から仕事だから、目覚まし止めて二度寝する悠兄ちゃんを見たかったのに! 布団をはだけて『起きろーっ、早く起きないと遅刻するぞー』ってするのが夢だったのに!」「いやだから、朝からそんな幼馴染ネタはいいから……な」 * * * 朝食を済ませると、ジーパンにパーカー、ジャケットの軽装で小鳥が玄関に向かった。「また夜に会おうね。いってきまーす」 それから30分ほどして悠人も部屋を出ると、まずコンビニに向かった。「あら悠人くん、おはよう」「おばちゃん、今日からその……小鳥がお世話になります」「まかしといて。久しぶりに若い子が入ってくれて、私も喜んでるんだから。それより悠人くん、小鳥ちゃんから聞いたわよ。あの子、悠人くんのお嫁さんになるんだって?」「あ……いやそれは」「ちょっと歳が離れてるけど、まあでも20ぐらい最近じゃ普通だし、気にすることなんかないわね」「いやだから、その……」「でもおばちゃん、びっくりしたわよ。悠人くんのお嫁さんは、てっきり弥生〈やよい〉ちゃんだと思ってたから」「とにかく」 悠人が赤面し話を切った。「今日から小鳥のこと、よろしくお願いします」 そう言うと悠人は、栄養ドリンクを一本買って逃げるように店を出た。 自転車を走らせ駅に近付くと、駅から出てくるサラリーマンにちらしを配っている小鳥が目に入った。(ちらし配りか。頑張れよ、小鳥) * * *「おはようございます、悠人さん」 悠人が事務所に入ると、机を拭いていた菜々美〈ななみ〉が笑顔で挨拶してきた。「悠人さん、ジェルイヴ見ました?」 *
「悠人さん、ジェルイヴ見ました?」 未だに抵抗のある略語で菜々美〈ななみ〉が聞く。 初めて悠人〈ゆうと〉に教えてもらったアニメ、ジェルイヴも今は2期に入っている。「すごかったですよね、急展開で。イヴが堕天使のプリンセスだったなんて」 ん? デジャヴ? 昨日小鳥〈ことり〉と話した時のことを思い出し、悠人が苦笑した。 いつの間にか菜々美、弥生〈やよい〉、そして小鳥。三人と同じアニメの話で盛り上がるようになっている。 しばらくイヴについて話しているうちに、他の作業員たちも出勤してきた。「菜々美ちゃん、今日も朝から頑張っとるなぁ」 冷やかす作業員たち。最初の頃は顔を赤くして照れていた菜々美だったが、馴れとは不思議なもので、いつの間にか、「毎日頑張ってるのに本当、悠人さん冷たいんですよ。なんとか言ってくださいよ細田さん」 そう笑いながら切り返すようになっていた。 * * * 作業時間が近付き、悠人が今日の予定に目を通していると、菜々美が聞いてきた。「あの、それで……悠人さん、今日のお昼どうされますか? 私今日、少し多めに作ってきたんです。よかったら一緒に食べてもらいたいんですけど」「ごめん、昼はちょっと出かけるんだ。20分ぐらいで戻ってくると思うけど」「何かあるんですか?」「実は週末から家に居候が住みだしてね。そいつが今日からコンビニでバイトをしてるから、ちょっと様子を見に行こうと思ってるんだ」「居候って、お友達ですか?」「友達って言えば、そうなるのかな。まぁ簡単に言えば、幼馴染の娘だよ」「幼馴染の娘さん……って、バイトしてるってことは子供じゃないですよね!」「うん、18歳」「えええっ!」 * * * 昼休み。 気が動転している菜々美に後で説明すると言い残して、悠人が自転車でコンビニに向かった。 こんな風に、他人を気
帰宅すると、小鳥〈ことり〉が夕食の準備を終えて待っていた。「おかえりなさーい」 それは一人暮らしを続けてきた悠人〈ゆうと〉にとって、少し照れくさく感じる言葉だった。 電気のついた家に戻るのも、そしてドアを開けた時に鼻をついた味噌汁の匂いも、全てが新鮮で心温まるものだった。「ただいま。小鳥も今日はお疲れだったな」 手を洗いながら悠人が話しかける。そして台所に入ると、テーブルに並んだ夕飯と、エプロン姿の小鳥が目に入った。(小百合〈さゆり〉……) 小鳥と小百合の姿が重なって見えた。その瞬間、小鳥が抱きついてきた。「おかえりなさい、悠兄〈ゆうにい〉ちゃん!」 その時そこに、もう一人の声が響いた。「いきなりなんと、うらやまけしからんことを!」 その声に振り返ると、そこには同じくエプロンをした弥生〈やよい〉が立っていた。「……私めもっ!」 そう言うと、弥生も悠人に抱きついてきた。二人分の重みに、悠人がその場に崩れる。「どわっ!」「おかえりなさいませ、悠人さん」 赤面しながら、そう言って弥生が悠人にしがみつく。「今日も一日お疲れ様でした。それで……どうなさいます? 弥生にします? 弥生にします? それとも……や・よ・い?」 * * * 三人がテーブルを囲む。 ニコニコしている小鳥とは対照的に、弥生は顔を真っ赤にしていた。悠人も弥生に抱きつかれ、気が動転していた。「いっただっきまーす」 その場の空気そっちのけで、小鳥が夕飯を食べだした。「労働の後のご飯はおいしいね、悠兄ちゃん」「あ、ああ……」 動揺を隠しながら、悠人も食事を始める。小鳥はバイトの話を嬉しそうに話してくる。「それで、なんだけど」 食事も終わり、お茶を入れたところで小鳥が言った。
ある水曜の夜。 この日は弥生〈やよい〉から、サークルの打ち上げで帰ってこないと小鳥〈ことり〉にメールがきていた。「でも小鳥さん、抜け駆けは許しませぬぞ……」 小鳥も今日は、遅番で22時までの勤務だった。悠人〈ゆうと〉は久しぶりに、家で一人の時間を過ごしていた。 小鳥の用意していたカレーを食べ、入浴を済ませジャージ姿になった悠人は、居間でコーラを飲みながらアニメを見ていた。 まだ小鳥が来てから一週間にもならないのに、部屋がやけに広く感じる。 仕事の後、一人でこうしてアニメを見る生活を続けていたのに、今はそのことに違和感すら感じられた。それが不思議だった。 小さくあくびをして煙草に火をつけた時、メールの着信音がなった。「我、到着せしめたり カーネル」「カーネル……来たか……」 そうつぶやき、悠人が白い息を吐いた。 * * * ネットで知り合った友人、カーネル。 出会いはゲームのレビューだった。 ある恋愛シミュレーションゲームのレビューを読んでいる時に、過激な発言をしている男がいた。それがカーネルだった。 その切り口や毒舌に興味を持った悠人は「カーネル」を検索、彼のブログにたどりついた。 ブログ名は「カーネルの囁き」。 トップページが戦争映画「地獄の黙示録」仕様になっていた。 そこには自称19歳、カーネルと名乗る男が、あらゆるアニメやゲームに関するレビューを書き連ねていた。その内容は過激なものだったが、悠人は不思議と好感を持ち、そこの読者になっていった。そして時に、カーネルにコメントするようになった。 悠人のハンドルネームは「遊兎〈ゆうと〉」。 互いにやりとりをする内に気が合い、個人的に連絡を取り合う仲になっていった。そして最近になって、直接会ってみようといった話が出ていたのだった。 ブログの自己紹介欄によると、カーネルは関東在住のようだった。 煙草を消し、紅茶の用意を始める。
沙耶〈さや〉は上機嫌だった。 沙耶は悠人〈ゆうと〉を兄のように想い、慕ってきた。 そして実際に会い、話していくうちに。思い描いていた通りだった悠人に喜びをかみしめていた。 何より悠人は自分を認めてくれる。ネットでもそうだった。意見が違い激論を交わすこともあったが、最終的にはそれがまた新たな信頼を生む結果になっていった。 今もまた、悠人は北條沙耶を認めてくれた。受け入れてくれた。それが何より嬉しかった。 * * * 沙耶の生まれた北條家は、旧華族の流れを引く名家だった。外務次官の父と、父が大使時代に出会ったイギリス人女性を母に持つ。 子供の頃から優秀で、中学卒業と同時に特例で大学に通うことになった。頭脳明晰な上に美貌の持ち主である一人娘に、両親は期待した。沙耶自身、自分が頑張ることで両親が喜ぶ、そのことが嬉しかった。 しかし交友関係はよくなかった。 子供の頃からずば抜けて頭のよかった彼女を、同世代の子供たちは畏敬の念で見ていた。女子からは嫉妬の対象として、男子からは近寄りがたい存在として見られてきた。大学に入り、自分のこれまでを振り返った時、同世代の友人が一人もいなかったことに気付いた。 それはいつしか、勉学だけに勤しんできた彼女にとって、最大の弱点となった。コミュニケーション能力の欠如だった。 言いたいことを素直に伝えることも出来ず、周囲の視線を恐れる余り、自分をいくつもの仮面で覆い隠していくようになっていった。 他人の自分を見る目に対する恐怖。もし自分が優秀でなかったら、もし自分が北條の人間でなかったら。自分には何が残るのだろうか。 彼女のストレスは歳を重ねるにつれ大きくなっていき、16歳になる頃には外出も出来なくなっていた。 一人部屋の中に閉じこもるようになった彼女にとって、ネットだけが唯一の、世界との接点になっていった。 初めは見るだけだった。書き込むことなど出来なかった。情報の海を漂っていく中、彼女は生まれて初めて、自分から学んでいきたいと思えるものに出会った。 それが「
「で」 沙耶〈さや〉が口を開いた。「メールにも書いた通り、しばらくここで世話になる。問題ないな」「そのことなんだが……沙耶、実は話しておかないといけないことがあるんだ」「なんだ、問題があるのか」「まず俺は、お前が男だから泊めると言ったんだ。だけど会ってみれば女で、しかもその……幼女ではないが、その……」 沙耶が顔を真っ赤にし、両手で胸を隠した。「き、貴様今、胸を、胸を見たな! 胸で幼女という単語を連想したな! な、なんと無礼な」「いやすまん、幼女の例えは忘れてくれ」「かあああっ!」 蹴りが悠人〈ゆうと〉の脇腹に入る。「ったく……どいつもこいつも、女の価値を乳で判断しおって……私の乳はまだ発育途上なのだ。見てるがいい、いずれ目をみはるほどの重量感で悩殺してやろうぞ。あっはっはっはっ」 沙耶が残念無念な胸を突き出し、声高らかに笑う。「それでな、沙耶」「なんだ。乳以外で問題があるのか」「いやそうじゃなくて……おまえな、年頃の女子がこんなおっさんの家に泊まり込んで、その……危機感とかないのか?」「危機感とはなんだ」「いやだから。俺も一応男なんだが」「お前は私に何かするつもりなのか?」「そんなことはないが」「なら問題なかろう。まぁ無理もない、39歳魔法使いの家に、いきなりこんな女神が降臨したのだ。私の魅力の虜になったか」「いやいやいやいや」「そこは否定ではなく肯定だ、遊兎」「肯定して欲しいのかよ、ってどうでもいいわ! それで沙耶、泊まるにしてもいつまでなんだ」「そうだな。少なくとも、家が見つかるまでの間は世話になるぞ」「家ってどういうことだ」
「ただいまー!」「お、おかえり小鳥〈ことり〉」 遅かったか……悠人〈ゆうと〉が額に指を当てた。「なんだ? 遊兎〈ゆうと〉、女の声がしたが」 小鳥は洗面台で手洗いをしている。「だな。説明しようと思ってたが帰ってきたみたいだ。しょうがない、直接説明するよ」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、誰か来てるの?」 ――小鳥と沙耶〈さや〉。 視線が合った瞬間動きを止め、互いを凝視しあう。 小鳥の瞳は好奇心そのものだったが、沙耶の視線には明らかに敵意が込められていた。「悠兄ちゃん、この人は?」「遊兎、この女は何者だ」 二人の質問に悠人が困惑する。「まぁあれだ……とにかく小鳥、座ってくれ。説明するよ」「うん!」 悠人は立ち上がり、小鳥と沙耶にミルクティーを作った。 * * *「ネットで知り合った友達がいるって話、したよな」「カーネルさんだよね。もうすぐここに来るって。あ、カーネルさんのお知り合い?」「こいつがカーネルなんだ」「え?」「いや、だからな、俺もさっき知ったばかりなんだが……実はカーネルは女で、今目の前にいるこの子、北條沙耶〈ほうじょう・さや〉さんがカーネルだったんだ」「カーネルさんが……女の子……」「そうなんだ。それとな、実は沙耶、遊びにじゃなくて、ここで住む為に来たらしいんだ。それでな、家が決まるまでの間、しばらくここで世話することになって……」 小鳥は呆気にとられた表情をしていた。 悠人は変な汗をかいていた。何で俺がこんなにパニくってるんだ? そう思いながら。「そうなんだ」 その声に悠人が見ると、小鳥はいつもの表情に戻っていた。
駅につくと、雨はやんでいた。陽が落ちて、少し肌寒く感じられる。「ちょっと寄り道していいか?」「どこに?」「そこ」 悠人〈ゆうと〉が指差したのは、マンションのそばを流れる川の堤防だった。 * * * 堤防に二人が腰掛ける。小鳥〈ことり〉は寒いのか、少し震えていた。悠人が手渡した缶コーヒーを飲むと、「あったかい」 そう言って笑った。 悠人がジャンパーを脱ぎ、小鳥の肩にかける。「ありがとう。でも、悠兄〈ゆうにい〉ちゃんは寒くない?」「俺は真冬生まれだからな、寒いのには強いんだ」「そうなんだ。小鳥も冬生まれなのに、なんで寒いの苦手なのかな」「女の子だからしょうがないよ。冷え性とか、女の子の方が圧倒的に多いだろ?」 小鳥が残りのコーヒーを一気に飲み、ほっと息を吐いた。「お、星発見」 悠人がそう言って指を伸ばす。その先には宵の明星、金星が光っていた。「ほんとだ。空、晴れたんだね」「あの星だけは、ここでも見えるんだよな」「金星も見えなくなったらおしまいだよ。なんたってマイナス五等星、一等星の170倍も明るいんだから」「さすが星ヲタ」「今日のプラネタリウム、楽しかったー」「そう言ってもらえると、連れて行ったかいがあるよ」「ほんとに楽しかったんだもん」「はははっ。そんなに喜んでもらえたら、また連れて行くしかないじゃないか」「また行きたい! それから出来たら、悠兄ちゃんとほんとの星も見たい!」「望遠鏡持ってか?」「うん!」「じゃあ車を借りて、一度遠出するか」「楽しみにしてるね」 * * * 話が弾む中、悠人が小鳥に何か言おうとしたその時、スマホがなった。「遊兎〈ゆうと〉…&helli
地下から上がると、そこは既に本通りだった。 悠人〈ゆうと〉の知る、日本橋最短ルート。少し歩くと、すぐにフィギュアの店やDVDショップが目に入った。 生粋の電気店やアダルト専門DVD店なども立ち並ぶが、悠人と小鳥〈ことり〉の目には入らなかった。見えているのはアニメショップ、それだけだった。 まずは腹ごしらえにいつもの店と、悠人が入ったのは牛丼屋だった。 時間短縮と経費削減にはここが一番。そう言った悠人に小鳥も同意だった。早々に食べ終わると、いよいよショップ巡りが始まった。 入口いっぱいに陳列された食玩の店に入ると、そこはうなぎの寝床のように真っ直ぐ縦長になっていた。その店の中には入口同様、所狭しと食玩が並べられている。 数百はある食玩に圧倒されながらも、小鳥はお目当てのものがないかと目を輝かせながら物色を続けた。 大型店舗では雑誌や漫画、ポスターやキャラクターグッズに興奮し、中々出ようとはしなかった。こういった店に初めて入った小鳥にとって、ここは宝の山に他ならなかった。 裏通りに入っても、小鳥の興奮は収まらない。 入っては物色を続ける中、とあるフィギュア専門店をロックオン、中に入ろうとした。その小鳥の腕をつかみ、悠人が首を振る。「ここはやめておこう」「どうして? フィギュアのお店だよね。ちょっと覗いてくるね」 そう言って、小鳥が一人で入っていく。悠人は苦笑し、店の前で煙草を吸いだした。 そしてしばらくすると、小鳥が血相を変えて店から出てきた。「おかえり」「な、な、何? このお店」「だから言っただろ。ここは男の夢と欲望のつまった店なんだ」「でもあのフィギュア、胸も、それからその……全部見えてて、な、なんか……」 見る見る内に、小鳥の顔が赤くなっていく。悠人は笑いながら、「喉、渇いただろ。なんか飲むか」 そう言って歩き出した。 自動販売
「……」 目を覚ました悠人〈ゆうと〉が、またしても違和感を感じた。 違和感の原因である何かが、体にまとわりついてくる。「うぎゃあああああああっ!」 沙耶〈さや〉だった。「ななな、なんでお前がいるんだ!」「どうしたの!」 悠人の叫びに、小鳥〈ことり〉が部屋に駆け込んできた。「……サーヤ……?」「ん……ふにゅ……」「こ、小鳥……助けて……」「……」 まどろみの中、またしても沙耶の顔が近付いてくる。小さな口を開け、悠人の首筋を頬張る。「はむっ……」「ダメええええええっ!」 叫ぶと同時に、小鳥が沙耶の体を引き離す。そしてすかさず、自分の両足を悠人の首に巻きつけた。 関節技、「首四の字固め」の完成。「ぐががが……」 悠人が悶絶しながらタップする。「朝からサーヤに抱きつかれて、しかもいやらしそうに喜んで……この、このっ! 私というものがありながら!」「ギブ……ギブだ小鳥……」 小鳥が足をほどくと、悠人が首を押さえて咳き込んだ。「……お、お前……朝の目覚めにこれはきついぞ」「だよねー。悠兄〈ゆうにい〉ちゃんは、サーヤのキスの方がいいんだもんねー」「当たり前のように冤罪を吹っ掛けるな」「ふっ……」 沙耶の肩が震える。「ふふふっ」「サーヤ?」「いやすまない。面白い
陽が落ちてきた頃。 この日の締めとして、二人は観覧車に乗った。 ゆっくりと夜景が動いていく。狭い空間で優しいBGMが流れる中、小百合〈さゆり〉が口を開いた。「悠人〈ゆうと〉。今日までよく頑張ったね」「それはこっちのセリフだ。小百合、ありがとな」「悠人なら大丈夫。絶対合格するよ」「だといいんだけど……ははっ」「またぁ。すぐそうやって不安そうな顔をする」「いや……楽しかったから忘れてたけど、俺って明日、受験なんだよな」「もぉー、今からそんな弱気でどうすんのよ」「だな。今更じたばたしても仕方ないよな」「絶対大丈夫だから。自信持ってよね」「でも……今日で終わりなんだな、こんな時間も」「あ……」 悠人の言葉に、小百合がはっとした。 そうだ。合格にしても不合格にしても、悠人の家で一緒に過ごした生活は、今日で終わりなんだ。 そう思うと急に、小百合の中に寂しさが込み上げてきた。「そう、だよね……こうして悠人といるのも、今日が最後なんだよね……」 小百合の様子に悠人は、しまった、今する話題じゃなかった、そう猛烈に後悔した。 小百合はうつむきながら、懸命に笑みを浮かべようとする。「ダメダメ、今日はリフレッシュの一日なんだから。しめっぽくするのはやめよう!」「……すまん、悪かった」「いいっていいって。この話はこれで終わり。それより悠人、隣に行ってもいい? 渡したいものがあるの」「あ、ああ、いいよ」 悠人の隣に座ると、小百合はバッグからラッピングされた包みを出した。「今日まで小百合先生によくついてきました。これはそのご褒美です。ちょっと早いけどバレンタインチョコ、受け取ってください」
「……小百合〈さゆり〉?」 声に振り向くと、公園のベンチに座る悠人〈ゆうと〉がいた。「なんか、久しぶりだね」 小百合がそう言って、悠人の隣に座る。「だな。高校までは毎日一緒だったから、俺も久しぶりな気がするよ」「一週間も経ってないのにね」 小百合が小さく笑う。「大学はどうだ?」「うん、それなりに楽しいよ。友達ともよく遊びに行くし、サークルのみんなも優しいし」「そっか。まぁ楽しくやってるならいいさ」「悠人は?」「俺か? 俺はいつも通りだよ」「どうせ一人で講義受けて、終わったらまっすぐ帰ってるんでしょ。一人で」「今の大学には、お節介な保護者もいないしな」「悠人くん。それはもしかして、私のことを言ってるのかね」 拳を握り、小百合がにっこり笑う。「はははっ」「ふふっ」 * * *「でもほんと、久しぶりだよな。こんな感じで喋るのも」「別々の大学で生活サイクルも変わって、行き違いばっかだからね」「最初の頃はお前も、夜になったら俺の部屋に来てたんだけどな」「それってちょっと、いやらしくない?」「全然。子供の時は風呂も一緒だったんだ。今更だろ」「それはそうだけど」「そんなこと言ったらお前、去年の今頃、毎晩俺の家に泊まってたじゃないか」「あれはだって……悠人の家庭教師してたからじゃない」「そうなんだけどな。その節は本当、お世話になりました」 悠人が大袈裟に頭を下げる。「いえいえとんでもない。出来の悪い生徒だったけど、なんとか合格させることも出来たし、先生としては満足でしたよ」「お前とは頭の出来が違いすぎるからな。お前は推薦、俺はランクをひとつ下げてもぎりぎりだったからな」「でもあの
「なんなんだこの部屋は……」 * * * 隣なので、基本的に悠人〈ゆうと〉の家と同じ間取りのはずだった。 しかし足を踏み入れた沙耶〈さや〉の部屋は、奥の二部屋の壁がぶち抜かれ、14畳の洋間になっていた。台所も、最新式のシステムキッチンになっている。「工事してるのは知ってたけど、お前だったのか」「ああ。流石に死ぬまでとは言わぬが、当分ここが拠点になるのだ。住みやすいよう、変えさせてもらった」「これだけのリフォームをわずか数日で……一体いくらかかったんだよ」「すいません、これはどちらに?」「ああ、一番奥に頼む」「よかったね悠兄〈ゆうにい〉ちゃん。これでずっと、弥生〈やよい〉さんともサーヤとも一緒だよ」「いや、そうなんだけどな……」「遊兎〈ゆうと〉、仕事が出来たぞ。私のベッドだ、組み立ててくれ」「分かった分かった」 * * *「こりゃまた、規格外のベッドだな」 小柄の沙耶が何人寝れるのか、そのベッドはキングサイズの域を超えていた。しかも屋根がついていて、高価そうなレースがかかっている。「……どこの異世界の王女様だよ」「何を言う。これでも実家のベッドに比べれば、ランクはかなり落ちるのだぞ。この部屋には大きすぎるからな」「……お嬢様ってのは、本当なんだな」「最初からそう言っておるだろうが」 天井には小型のシャンデリア、大画面液晶テレビにレコーダー、最新のパソコンにデスク、リクライニングチェアーには両サイドにスピーカー内臓。 フローリングには雲のような絨毯。カーテンも、レースだけで何万するのだろう? そう思ってしまうほど高価なものだった。「なあ沙耶。ここまで金があるのに、なんでこんな過疎マンションに住むことにしたん
朝。 何かがまとわりついている感覚に、悠人〈ゆうと〉が目覚めた。「げっ……」 ネグリジェ姿の沙耶〈さや〉が布団に潜り込み、悠人にしがみついていた。「また……お前か……」 沙耶を起こそうと体を向けると、胸元に視線がいった。ネグリジェがはだけ、沙耶の微乳があらわになっていた。「お、おい、起きろ沙耶」 赤面した悠人が、慌てて沙耶の肩をゆする。「う……うーん……」「ひっ……さ、沙耶……」 甘い匂いに動揺する。 沙耶の小さな唇が、悠人の耳元をかすめた。「ゆう……と……」 耳元に沙耶の声。顔には沙耶の金髪が、足には細い足が絡みつく。 ガンガンガンガンッ! 突然頭の上に、金属音が鳴り響いた。慌てて見上げると、小鳥〈ことり〉がフライパンとお玉を持って立っていた。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、おはよう」 意地悪そうに、ニンマリと笑う。「いや、これはその……違うんだ小鳥」「最高のお目覚めだね、悠兄ちゃん」「……この状況でそれを言うか? 知ってたんなら助けてくれよ」「だってサーヤ、今日引越しだからね。最後の夜だし、悠兄ちゃんを貸してあげようと思って」「貸してってお前……それは自分の持ち物って前提じゃないか」「ほらサーヤ。そろそろ起きないと、引越し屋さん来ちゃうよ」「ん……」「おはようサーヤ。よく眠れた?」「おはようございます、小鳥&hellip
「これはまた……面妖な味だな」 菜々美〈ななみ〉の淹れたコーヒーを口にして、沙耶〈さや〉がつぶやく。「北條さん、コーヒー駄目だった?」「いえいえ、違うんですよ白河さん。このサハラ砂漠、インスタントコーヒーなるものを飲んだことがないんですよ。なにしろお嬢様らしいですから。胸は平民以下ですけどね、おほほほほほっ」「そう言うお前は、こういう平民飲料水で無駄な色香を育てた訳だな」「二人ともほんと、何がきっかけでも会話が弾むよね」 小鳥〈ことり〉が笑う。菜々美もつられて笑った。「みなさんほんと、楽しいですね」「あははっ……でも白河さん、想像してた通りの人ですね」「私ですか?」「はい。悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、よく白河さんの話をするんです。その時の悠兄ちゃん、いつも楽しそうで。だから白河さんに会えるの、すごく楽しみだったんです。やっと今日会えて、悠兄ちゃんがあんな顔をする理由、分かった気がしました」「どんな風に分かったのか、聞いてもいいですか?」「白河さん、きっとすっごく優しくて、気遣いの出来る人なんだと思います。そして多分、どんなことにも一生懸命なんだろうなって」「……すごく壮大な分析ね」「私も白河さんのお話は伺ってましたが、確かにその時の悠人〈ゆうと〉さん、優しい顔をしてました。私結構、嫉妬全開でしたよ」 弥生〈やよい〉が入ってくる。「しかも白河さん……なかなかどうして、結構なものをお持ちなようで」 弥生の視線に、菜々美が慌てて胸を隠した。「な、なんですか川嶋さん、その目怖いですよ」「いえいえ、男所帯の町工場に咲く一輪の花。それを想像するに私、次の作品のいい刺激になると言うかなんと言うか……とりあえず白河さん、その胸をば少々触らせてもらっても」 ガンッという音と共に、弥生が頭を抑える。沙耶のトレイ攻撃だった。「ぷっ……」 菜々美が再び吹き出した。「あははははははっ」
(あれから気まずくなるかなって思ってたけど、悠人〈ゆうと〉さん、思ったより自然に接してくれて……嬉しいような寂しいような…… あれ以来告白してないけど、それでも、悠人さんの一番近くにいるのは私だって思ってた。だから変な安心感があったんだけど……最近、悠人さんから女の子の話をよく聞くようになって……私、このままでいいのかな……) コーヒーを飲み干し、悠人が立ち上がる。「よし。じゃあもうひと踏ん張りするね」「じゃあ悠人さん、頑張ってくださいね」「菜々美〈ななみ〉ちゃんもありがとね。うまくいけば、あと2時間ぐらいで片がつくと思う。菜々美ちゃん、いつでも帰っていいからね」「私、今日は最後までいます。いさせてください」「いてくれるのは嬉しいんだけど。菜々美ちゃんは大丈夫なの?」「勿論です。悠人さん一人に大変な思いはさせられません。何もお手伝い出来ないけど、せめて完成するのを見届けさせてください」「分かった。ありがとう、菜々美ちゃん」「それに……こうして一緒に、二人きりでいられるのも久しぶりですから……」 そう言うと菜々美はカップを持ち、足早に事務所に戻っていった。 * * * 菜々美は悠人の椅子に座り、膝を抱えて考え込んでいた。(思わずあんなこと言っちゃった……今までずっと自然に振る舞ってたのに、なんであんなこと言っちゃったんだろう……焦ってるのかな、私……) 菜々美は悠人の変化に動揺していた。最近の悠人はこれまでよりも優しく、強く、誠実さを増しているように感じる。それはまるで、人生において目標を見つけたかのような変化だった。 明らかに悠人は変わった。そしてその原因が、最近悠人が口にする「小鳥〈ことり〉」によるものなのか……そのことを考えると、言いようのない不安に襲われた。(幼馴染の子供、小鳥ちゃんか……) 時計を見ると21時をまわっていた。「そうだ、うっかりしてた!」